彼らの見る先の世界

欲望こそがアイデンティティ.

アイドル、の名を捨てること

近年退所するアイドルたちが増えていることに関して。私が思っているあれやこれやをダラダラと。

 

アイドル。それは偶像であり、私たちの希望であったりする。アイドルはダサいし、歌もダンスもそこそこで、顔だけの中途半端なパフォーマーだ、と言われたら否定は出来ない。けどだからこそアイドルは輝いていて応援したくなる存在なんだと思う。

アイドルでいるうえで、やりたくないことをやったり、言いたくないことを言うこともあるだろう。ファンサや派手な衣装、ちょっととんちきでダサい曲、アイドルらしい振る舞い。そりゃやりたくないこともあるだろう。やりたいことだけやって生きていく、が出来たらそりゃいいだろうし、みんなそう出来るならしたいと思う。アイドルでいる以上、はみ出してはならないラインがあって、守らなければならないパブリックイメージもあって、最低限こなさなければならない「アイドルのお仕事」があるわけで。アイドルのままじゃ叶えられない夢だった、というよりは、アイドルとして表現することに限界を感じてしまった、がどちらかといえば正しかったのかな、と思う。アイドルという肩書きを背負ったままでは、何をしても「アイドル」という枠は絶対に外せないというか、アイドルとして表現することに上限はないけれども、制限はとてつもなくあるわけで。今やアイドルは色んな方面に進出していて、もはやその鳥籠のてっぺんは見えないくらい高いと思う。けど、必ず鎖には繋がれているわけで。鎖っていうと語弊があるけど、「ジャニーズ事務所に所属するアイドル」という肩書きは、盾にも矛にもなりうるわけで。ジャニーズ事務所がブラックであるか、と言われたらグレーなところはあると思うが、それ以上に甘い汁も多いとも思うし。ジャニーズ事務所がとんちきであることは一目瞭然だけれども、でもジャニーズ事務所だからこそ受けられる恩恵もかなりのものだ。デビュー前からMステに出られたり、世界放送のレギュラー番組があったり、アリーナやドームなんかでライブも出来たり、雑誌にだって安定して載れるし、ドラマや舞台やバラエティなんかも出演出来る。衣装だってJr.のうちはお下がりかもしれないけれど、キラキラでゴテゴテで無駄な布がたくさんついた豪華なものも着せてもらえる。普通に考えたらとんでもないことだ。デビューしたらしたで、最初っからツアーもあるわ、アルバムも出すわ、音楽番組だって引っ張りだこ、情報番組でももちろん取り上げてもらえる。確かに理不尽だな、とか、大丈夫か?、とか、不透明だな、と思う部分も多いとは思うけれども、それでもジャニーズ事務所のアイドルであることで、受けられる恩恵は多大なものだと思う。

でも、それでも、アイドルの名を捨て、アイドルであった自分を脱ぎ去り、自分の選んだ道を進むために新しいステージに立つ。アイドルであることは、それで受けられる恩恵より足枷の方がずっと大きいというのだろうか。

一方その裏でアイドル時代のファンを相手に、アイドル時代と同じようにファンクラブを作り、グッズを売って、ステージでパフォーマンスをしている。アイドルの時とやってること自体は同じに見える。それはアイドルを捨てなければ出来なかったことなのか?アイドルを捨てたのに、アイドルの自分を好きだったファンを頼りにしているのか?なんだその都合のいい話は。怒りや呆れではない。ただ不思議で仕方ないのだ。私はどうしてもこの違和感を飲み込めないのである。

田口くんは亮ちゃんやすばるくんとは違い、やりたいことがあって辞めたってわけじゃないと思うので(そもそも大麻やってて脳みそ正常じゃないし)、2人と比べるのもおこがましいのだけれども、田口くんが新しいステージに帰ってきたとき、新しい彼を見るたび、私はこの違和感に感じずにはいられなかった。新しい田口くんを見に行っていた人は、ほとんどアイドル時代のファンだったと思う。完全に別物と認識していたかどうかなんで、人それぞれなのでわからないけれども、それでもみんな多かれ少なかれ新しい田口くんの奥に、アイドルであった田口くんの亡霊を見ていたと思う。少なくとも私はそうだった。アイドル田口淳之介のパフォーマンスが好きだったから、たとえ1人になろうが、アイドルという名を捨てようが、パフォーマンスは好きなままなはずだって思っていた。でもアイドル時代では考えられなかった小さな箱で、あんまりお金もかかってなさそうな衣装やステージでパフォーマンスをする彼を見るたび、アイドルを捨ててまで何故ここを選んだのか、という疑問がいつもあった。べつにステージが大きいとか、何万人って人が観に来るとか、衣装が豪華とかは、そんなことは演者本人からすれば関係ないのかもしれない。富とか名声とかそんなものは、自分の信念を貫くことに比べたら、どうでもいいことなのかもしれない。けれどもあのまばゆくてきらびやかな世界を知っていて、それでもその道を選んだ彼のことが、いつも不思議で仕方なかった。あのままジャニーズ事務所所属のアイドルのままでいたら、全国各地のアリーナやドーム、そこに集う何千何万のファン、無駄な布が沢山付いた豪奢な衣装、手の込んだ舞台装置、そういったものがほぼ半永久的に手にあったのに。「自分の道を選ぶ」、「自分の人生を生きる」、それはその全てを投げうってでも全うしたいものなのか?そう言いながら結局アイドル時代の財産やツテ、ファンを当てにするのは、都合が良すぎる気がして、なんとなくモヤモヤしていた。ついてきてくれ、なんて本人が言ったわけじゃないなら、こっちが勝手にまた応援してるだけ、自分が引っ張ってきたんじゃない、ってことなのかもしれないけれども。

新しい田口くんがやっていた音楽はレゲエとかなんかそんな感じのウーハーが効いたズンチズンズンチ系の音楽で、音楽好きでもなくただのミーハージャニオタだった私には全然理解出来ない世界観だった。新しい田口くんのやりたいことが、好きってことではなかった。アイドル時代のファンが新しい自分のやりたいことを100%理解してくれるわけじゃない。つまりそこに来ているのは、彼が本当にやりたい、と思ってやっと出来ることになった音楽やパフォーマンスを、好きで、理解し、共感してきている人ばかりってわけじゃないってことだ。やってる音楽がどうとか、パフォーマンスがどうとか、そんなことは二の次で、「彼に会いたい、見たい」という気持ちで来ている人だっている。それは何も悪いことじゃないし、どんな気持ちで曲を聞いたり現場に行くかなんて、ファンそれぞれの勝手だ。でもアイドルを捨ててまで選んだものを、好きで、理解し、共感してる人が多くはない現場っていうのは、演者としてはどうなんだろう。実際田口くんの現場でプチャヘンザ!みたいな煽りが出るたび、ついてけないっていうか、こういうノリに慣れないなって私は感じていて、アイドル時代のファン層って今彼がやりたいことと全然合ってないファン層なんじゃないかな、とぼんやり思っていた。だって私にとっては、そもそも土台に「田口淳之介」という人間があって、そこに付随してくる音楽とかパフォーマンスはついでというか、全て田口淳之介ありき、なものだったわけで。音楽やパフォーマンスに惹かれて彼を選んだわけではなくて、田口淳之介のついでにその音楽やパフォーマンスがあったというか。それって本当に新しい彼のファンって言えるのかな、ってずーっと疑問に思っていた。そして彼もそれで満足なの?とも。まぁ慈善事業とか趣味ではなく商売なので、ファンの心理とかそんなことよりも何よりもチケットが売れるとか、儲けが出るってことのが重要なのはわかってはいるけれども。とにかく漠然とした矛盾みたいなものを感じずにはいられなかった。

YOU&Jより前の世代っていうのは、アイドルになるぞ!っていう確固たる信念のもとにアイドルになった人が案外少なかったのかなと思う。それが悪いとかじゃなくて、彼らがJr.だった当時はこんなに情報社会じゃなかったし、もっと色んな意味で緩くて、強い覚悟や確固たる目標があったわけではなかったのかなって。そうだったとすると、時が経つにつれて「アイドルの自分」に疑問が生じるのも納得なわけで。

与えられたものを受け入れるか否か。

それはアイドル自身にとっても、ファンにとっても同じだ。受け入れて前に進むか、受け入れられずに去るか。

肩書きが変わったって本人は変わらないのはわかってる。わかってるけど、なんか真ん中におっきな穴が空いてしまったみたいな、なんとも言えない気持ちになる。別の誰かになってしまったような寂しい気持ちになる。私が好きだったあのアイドルの君たちを、忘れられるわけはないし、でも新しい君たちを嫌いになれるはずもなくて、相反する気持ちが渦巻いて仕方がない。私はその置いてしまったアイドルという肩書きを背負う彼らが好きだったのだ。アイドルの肩書きを置いて立つ新しいステージから見える景色は何が違うのかな。君たちが本当に見たかった景色はそれなのかな。願わくばアイドル楽しいよ、最高だよって、ずっと夢を見させて欲しかった。私の幸せと君たちの幸せが同じであって欲しかった。「アイドル」を大切にして欲しかった。「アイドルでい続けること」は、最大にして最難な願いなのかもしれない。

アイドルという肩書きを捨てたのに、アイドル時代と同じ仕組みでステージに立つ君たちを、いつか心から応援できる日が来るのかな。幸せでいて欲しいし、楽しく生きて欲しいのだって間違いない。ただこの違和感を、私はまだ飲み込めない。けど君たちの幸せをいつも願っています。

新しい自分を、精一杯生きてね、元アイドルたち。