彼らの見る先の世界

欲望こそがアイデンティティ.

本気で愛される気あんの?

まーたジャニーズ一切関係ありません。私のぐだぐだ話。ほんと吐き出し場所にしちゃって申し訳候。

 

 

 

 

 

 

ねえ、可愛げってどこで売ってんの???

 

どうも、可愛げとか隙とかそういうもの、一切合切お母ちゃんのお腹に忘れてきた女です。

「わざとだよ?」

これあらさー女子なら、うわ、こんなこと言う女とは絶対友達にはなりたくねぇ〜〜〜ってなるやつだと思うんですけど。これね、これ。

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こんなこと言う女とは友達にはなれないけど、こんなこと言ってのけちゃう女には生まれてみたかったな、と思わんでもないわけで。いや、最近ね、私も幸子と似たような状況に陥ったんですよ。けど私はもちろんわざとだよ?なんて言うわけもなく、自分の履いてるヒールで歩ける速さまで考えて、なんなら彼のこと置き去りにして、終電に乗りました。しかも余裕で間に合うってゆー。ほんと私どうかしてるね???

こういうときのベストアンサーが私にはわからない。幸子にはなれない。なれないからこそ、幸子みたいな女にはとんでもない憧れがある。だって私には女の子の才能が徹底的にない。

以前も書いたことがあるが、私には男友達が多い。それは私が恋人〈〈〈 友達な人間だからだ。一度も友達と恋愛関係になったことがない私は、男女の友情は成立する派だ。その中でも特に仲が良く大事に思っている友達のグループがいる。もうかれこれ干支が一周するくらいは友達で、一応グループ内恋愛禁止というルールはあるけれど、そんなルールなくても誰もそんな雰囲気に一切なった事がないくらい、色気がないグループだった。けど私にとっては男とか女とかそういう次元を越えて、本当に大好きな友人なのである。私の青春は彼らで出来ていて、私の人生からは切っても切り離せない存在なのである。

彼らは私を決して女の子扱いはしなかった。というか、彼らの前で私は1人の人間で、女だとか男だとか気にしなくてよかった。女の子扱いされない、ことが楽だったし、女性という性ではなく、私という人間の人間性を認められたみたいで嬉しかった。それでよかったし、それがよかった。はっきり言って変人の集まりだとは思う。ぶっ飛んでいるやつばかりで、でも彼らはよくモノや世間を知っていて、生きていく知恵や力があって、今を、自分を、生きているやつばかりで、だから一緒にいるのが本当に楽しかった。でも彼らと過ごすうちに私の中の「女の子」という性がどこかに追いやられてしまった。女の子らしく甘えたり、可愛らしく振舞ったり、そういうことをするのは私には求められてないと言い訳をして、「女の子」を徹底的に怠ってきた。そのツケが今まさに回ってきてしまった。人間としてはとても優しく扱ってもらったと思う。けど女の子としては、完全にアイデンティティを無き者にされていたし、私自身もしていた。だから今更になって、どう「女の子」になったらいいのかわからない。どこ行っちゃったの、私の中の「女の子」。

このお盆休みに、その中の何人かで旅行に行った。いつも通りめちゃくちゃに楽しかった。だけれども、ことあるごとに繰り返し言われる、「お前らは女じゃないから」、という言葉が胸に刺さってしまった。別にグループの誰かに恋心を抱いたわけでもない。けれども今まで何百回言われかわからないこの言葉に、ついに傷付いてしまった。三十路を前にした私は、ついにこの言葉を受け入れられなくなってしまった。あんなにも喜んだ言葉だったはずなのに。ならなくていいや、と思ってきた女の子に、なりたいと思ってしまった。いや、本当はずっと女の子になりたかったのだと思う。なれなかったから、見て見ぬ振りをしていただけで。

きっと私は人より傷付くのが上手い。なんでも意味を求めて、考えて、結論付けようとするからだ。他人に期待して、あげた分は返してもらおうとするからだ。そのくせ人に甘えるのはとんでもなく下手だ。甘ったれた人間性のくせに何を言ってるんだと思われそうだが、なんていうか意地はって、肩肘張って、そうやって頑なにしか生きれない。

あらさーにもなれば、それなりに人生色々なことがあって、そりゃ泣きたい夜だってある。独りで生きてきた、なんてかっこつけるつもりはさらさらないが、でもそういう寂しい気持ちとか、虚しい気持ちとかに襲われた時だって、なんだかんだ乗り越えてきてしまった。そりゃもちろん友達や家族に、盛大に愚痴ったり泣きついたりしながらだけれども。何かあったって、何もなかったみたいに、結局どうにかしてきた。なんていうか自己治癒能力というか、自己完結能力が高すぎるんだと思う。だからとにかく隙がないし、俺がいなくても生きていけそうなんて言われちゃうんだと思う。

けれども実際の今の私は、なみなみに水が入ったコップみたいなもんで。表面張力のおかげかなんか、なんとか溢れさせないように、絶妙なバランスを保って生きてる。そのバランスを崩すのが本当に怖い。別に溢れたら溢れたで、きっと今まで通りどうにか出来るし、どうにかする。どうにか出来るけど、しんどいのはしんどい。どうしたってしんどい。誰かに甘えて寄っかかってぎゅーってしてもらってよしよししてもらいたいな、って私だって思ってる。けどそんなこと誰にも言えない。言ってもいいよって言われたって、素直になれない。だって怖いし恥ずかしい。それにずっと与えてくれないならその優しさはいらない。一回だけ貰う方がずっと辛いから。だから溢れさせないように、必死になってヘラヘラして生きている。

 

「結婚してないことは不幸なのか」、その問いの答えはNOだ。だけれども、誰かの一番大事になったことがない、というのは不幸なのかもしれない。結婚はそりゃいつかはしたいよ。けどしたい相手がいないから今は全然結婚したくない。私には今のところきっと恋愛する勇気も結婚する覚悟もない。だってどこかにいるはずの自分の中の「女の子」を、見つけ出すことすら出来やしない。

生まれ変わったら幸子みたいな女になれますように、来世に期待。