彼らの見る先の世界

欲望こそがアイデンティティ.

私が恋愛出来ないのは、どう考えても私が悪い。

何番煎じや、このタイトル。

またモヤモヤを吐き出したいだけの自分語りです、すみません。

 

 

 

聖なる夜を2週間後に控え、特に何の予定もなく、なんなら全部仕事のアラサー女である私。友人達はどんどん結婚ラッシュを迎え、今やベビーラッシュ。もはや人生の別次元に進み過ぎた彼女たちに、嫉妬や焦りの感情はなく、己に残るのは悟りである。そう、無。

私なんでこんな恋愛出来ないんだろう。

やばいよ、やばいよ、って脳内でちっちゃい出川哲朗がずーっと警告してくれてはいるんですけど、いかんせん行動が伴わない。日増しに三十路に近づいていくのに、日増しにやる気はなくなる。いや、別に三十路になったからって、なんのこっちゃない。時計の針が12時を指し、そしてまた刻々と淡々と時が過ぎていくだけで、別に地球が爆発するわけでも、魔法が解けて老婆になるわけでも、死ぬわけでも、何でもない。結婚にタイムリミットがあるわけでも、ない。でも「三十路すぎて結婚できてないやつは、絶対どっか問題ある説」が、この両肩に重くのしかかってくるのだ。特に田舎に住んでいると、結婚適齢期の人間にはすぐ「結婚しなさい」攻撃が向けられる。三十路になると市場価値半減、はガチだ。結婚は?子供は?それってしてないとそんなダメ???そんなに問題???いや、私だって人並みに結婚もしたいし、母になりたいという欲はある。いかんせん相手がいない。結婚式をしたいだけなら、相手は見つかるしれない。けど、私は別に結婚式をしたいわけじゃない。結婚式を通過儀式として、一生添い遂げたい相手を見つけたいのだ。インスタで#プレ花嫁とか#weddingなんてタグを付けたいわけじゃない。ただ心穏やかに寄り添える相手を見つけたいのだ。

けどふと冷静に考えてみると、私自身自分のことを結婚適合者だとは思えない。自分の性格に問題があり過ぎる。穏やかさが足りない。思慮深さが足りない。思いやりが足りない。可愛げが足りない。足りないところだけが、有り余っている。私は頭でっかちな人間で、何でも疑問に思うことは納得できないとダメなタイプである。行動に理由が欲しいから、ついつい頭で考え過ぎてしまう。なまじ中途半端に頭の回転が速く、口が達者であるため、思考能力がおかしなところを向いている。思ってないことは、絶対口に出したくないし、仮に出せたとしても棒読み丸出しになる。しかし思っていることは、ほぼ絶対に口に出したい。だから男の人に「さしすせそ」が、ほとんど言えない。だから、本当に自然に「さしすせそ」が出てくるような、尊敬できる男の人しか好きになれない。けど残念なことに、私の好きなタイプの男の人は、ほぼほぼ私のようなタイプの女を好きであることはないのである。それに、お喋りな女はモテない、と思う。ソースは私。私壊れたラジオって呼ばれるくらいお喋りくそやろーなんですよね。あと、自分で言うのもなんだけど、面白い。めちゃくちゃ面白い。人生で会った人の中で一番面白い、とよく言われる。そして面白い女も、モテない。合コン行ったら、私が一番お喋り泥棒で、笑いをどっかんどっかん起こして、女の子にモテるからだ。話してる時もいつもその場面を俯瞰的に見ていて、ここでこう言ったらウケそうとか、これ絶対ウケる、とかそんなことばっか考えてる女は、そりゃモテない。私が男だったら、笑わせてくれる女より、自分の言ったことに笑ってくれる女のが、絶対いい。つまり私は全くもって、男の人をたてれない女のである。

 

私は男友達が多くて、昔から男8女1で旅行に行ったりもしていた。女の子扱いされないことにも、恋人ではない男の人と過ごすことにも、下手に慣れ過ぎてしまった。友達としては、異性からすこぶるモテたおかげで、よく相談も受けた。耳からの情報が、実体験を遥かに上回り、経験値が伴わないくせに、何故か恋愛の達人みたいな空気を醸し出してしまう。おかげで、オカマバーのママくらいの貫禄は出てきた。実態は中学生以下の恋愛スキルのくせに。頭にある情報量が多すぎて、考えることをやめられない。恋とは落ちるもの、とよく言ったもので、考えて理由を探しているうちは絶対に恋なんて出来ない。年齢的なことも考慮すると、年収だとか仕事だとか長男かどうかとか家庭的かどうかとか借金がないかとか、相手の人となり以外に気になるところがあり過ぎて、全然衝動的に恋愛出来ない。衝動にかられないならかられないで、徹底的に打算的になれたらよかったが、どうやら私は衝動にから恋愛を求めているらしい。運命のビビビッを私は未だに信じているのだ。ビビビッを信じていると、友達からランクアップはなかなかできない。というか私の場合は、ほぼ初対面で恋愛対象か否かが決まる。私は恋人〈〈〈 友達なところがあるので、友達になったらその関係を大事にする。恋人になるより、ずっと友達でいるほうが価値があるような気がするし、それに友達として心を許した男に、女として甘えたりは出来ない。残念ながらそんなに器用じゃない。だから友達から恋人に昇格システムは、わたしの中には導入されていない。それに、男女問わず友達が多い弊害は、意外にもある。恋人がいなくても、リア充を気取れることだ。ほとんどのイベントは友達とでも乗り越えられるし、遊んでくれる友達が沢山いると、寂しくないような気がしていた。いや、実際は寂しいんだけど。だって友達は私を特別にしてくれるわけではないし。やっぱり同じ愛でも、友愛と恋愛は、全くもって異なるものだし。それでも、恋人がいなくても、友達がいれば人生楽しく過ごせた。いや、過去形ではなく今だって楽しく過ごしている。けど、楽しく過ごせすぎたことがわたしには問題だったのかもしれない。

アイドルを好きになることはラクだ。そこには何の責任もないし、一方通行で良い。私が投げかける一方的な愛に、なんのレスポンスもなくても傷付かない。そういうもんだって割り切れる。私とアイドルを繋ぐ糸はわかりやすく、お金と興味だ。アイドルには「さしすせそ」なんて言えなくても、みんなに平等に微笑みかけてくれる。でも生身の恋愛は違う。画面の中のアイドルと違って、いつも笑顔で手を振り返してくれるわけじゃない。私の投げかけるものを、返して欲しいし、与えて欲しい。だけどそれはハイリスクハイリターンなわけで。私は基本的に、人生は等価交換というどこぞの錬金術師のようなことをモットーに生きておりまして。こたえられないのに、誰かに愛情を注がれるのは、苦手だ。だけれども、自分に自信がないから、愛してもらわないと愛せない。愛せないから、愛されないし、だから自分に自信がない。とんだ矛盾、まさに負のスパイラルだ。

加えて私は「普通のいい人」や「普通の優しい人」に、あまり興味がない。というか、何故かあまり興味が持てないのである。私は人間観察が趣味で、人と話すのが大好きなので、色んな人と色んなことを話すうちに、自分の中で出来た統計があって、その円グラフの一番多い回答をくれる人には、全然興味がわかない。あ、おっけーおっけー、その辺THE平均なんで、その辺りのデータは揃ってます、おっけー、って気持ちになって、その人のことを知りたいという気持ちが、急激に無くなるのである。逆に自分にはない、とっぴな考え方をしている人には、めちゃくちゃ興味がわく。じゃあこれは?こっちは!?あっちは!?って、沢山聞きたいことが出てくる。ぶっ飛んでれば、ぶっ飛んでいるほど、知りたくなるし、興味がわくのだが、ぶっ飛んだ男の人は、結婚に不向きな場合が多い。ぶっ飛んだ男が好き、と言いながら、安定してない結婚生活はいや、とワガママを言う。書けば書くほど、自分が困難な人間すぎてがっかりする。

長らく恋人がいないと、もっとこうしたら?ああしたら?と、みんなアドバイスをくれるが、そんなん言われて出来るなら困ってない。モテる人には、先天的にモテの才能が備わっている人と、後天的努力でモテる要素を手に入れた人と、2種類いると思うが、私にはもちろん先天的才能はない。なら努力すれば?と思うが、結局は自分を変えてまではモテたくない、と意地を張ってしまう。だって変えちゃったらもはやそれ私じゃないやん。アイデンティティの崩壊やん。そのまま好きになってもらいたいのに、って思ってるだけで、頑張りも、素直にも、なれやしない。どーすりゃいいんだ。変わってる、とよく言われる。そう言われることに、むしろ誇りを感じたりもしていた。人と同じ、と思われるのは嫌なくせに、人並みの人生を歩めてないと、不安になる。だから結婚をしなきゃ、と脅迫観念にかられる。けど私そんな結婚したいのだろうか。私はジャニオタになってなくても、結婚してない、という結論は変わらなかったと思う。独り善がりに生きていくことに慣れすぎてしまった。アイドルを好きだと叫ぶのは、こんなにも簡単なのになぁ。ダメすぎて笑えてくる。

ばっちこい三十路!!!