彼らの見る先の世界

欲望こそがアイデンティティ.

また一つ

私の見ていた夢の終わりを知った。

 

 

アイドルがアイドルでいることは、私が思っているよりずっとずっと難しいことなのかもしれない。

以前、こんな記事を書いたんですけど

 

 アイドルにはアイドルを楽しんでやってほしい、というお話 - 彼らの見る先の世界

 

 アイドルにアイドルを楽しんで生きてもらうっていうのは、どこかで叶わないことなのかと思いながら、もしそのことを叶えてくれるアイドルがいるのなら、それはSMAPになるのかな、ってぼんやりと思っていた。

 でも、だけど、こんな日が来てしまった。

人生のほとんどを、数え切れない苦楽を、過ごしてきた仲間の、戦友の、手を離す決断をするほどの何かがあったのだろう。自分だけのことじゃない、「国民的アイドル」として、何千何万の想い、期待を背負い続けてきた彼らが、それでもこの決断をした。「みんなのSMAP」では無くなることを選んだ。何も言えない。素晴らしかった彼らの25年を、平坦ではなかった彼らの25年を、たった一枚の紙切れで締めくくられてしまった。5人で、直接、告げさせてもらえなかったのか、もう告げたくもなかったのか、私には、わからないけど。

 

今、当然のようにアイドルはバラエティに出て体を張ってコントをやってイジられている。

番組の顔として、司会を任されることだってある。

王子キャラ、ドSキャラ、おバカキャラ、知的キャラ、色んなアイドルがいる。そんな多種多様なアイドルが、その魅力を思いっきり発揮できるのは、開かれた地があったからだ。

ニュースキャスター、小説家、声優、料理、手話、色んな特技や個性を生かして活躍の場を広げている人も沢山いる。その先陣を切ってアイドルは歌って踊ってニコニコしてるだけの存在じゃない、アイドルの可能性、アイドルの新しい姿を切り開いてくれたのはSMAPだった。

私たちが今当たり前のように受け入れてくれる、色んな「当たり前」を開拓してくれたのはSMAPだった。

常にミチシルベであり続けて、後輩達を導く一等星であり続けてくれるのだと思っていた。

「生涯現役」を体現して、「一生アイドル」の夢を見せてくれるのだと、勝手に信じていた。

 

「これからは5人それぞれ個人の応援を 」

もう5人のSMAPを応援しちゃいけないのだろうか。もうSMAPは無くなるのだから、応援したい、と思うことすらおかしいのだろうか。

SMAPのファン、と名乗れるほどのものじゃない私だけれども、それでも私は5人のSMAPが好きだ。歌って踊ってボケて演じてキラキラと輝く5人のSMAPが好きだ。あの好きな曲を歌うところはもう見れないのだろうか。かっこよくキメる姿はもう見れないのだろうか。

「もう一緒にいられない」、そう言った5人が無理にでもアイドルをする姿を見たいだろうか。見たい、なんて言っていいのか。

 

お願いだから、幸せになって。

沢山の人に勇気を、夢を、笑顔を与え続けてきてくれた彼らの25年が、アイドルの様々な概念を壊し、開拓し、アイドルに無限の可能性を与え続けてきた彼らの25年が、これからも輝き続けますように。